▽事の始めは
▽今思えば
▽TV放送当時を振り返ると
岩本隆雄氏の小説『星虫』に登場するソレノイド・クエンチ・システムを調べるために、単語検索をかけた時。
工学、医学とヒットしてゆく中で、幾つかの二次創作小説が呼び出されました。
スーパー・ソレノイド・エンジン、エヴァのS2機関に引っかかったのです。
以来、私の中で夏映画を最後に終わっていた『エヴァンゲリオン』の終止符の先に次の譜面が加わり、端から読み漁る態勢に。
それはもう、「ひょっとして、おさるさん?」ってくらいに。
この一件は私の生活スタイルに半年に渡って大きく影響しました。
もしもこれがなかったなら、まったく違う趣味のすごし方をしていたのだろうなぁと、感慨もひとしおです(笑)
二次創作小説を読んだのはこれが初めてでした。
発想の柔軟さと、何よりも『エヴァ』という作品の反響が、未だに続いていたことに二度ショックを受け(笑)、
骨太な名作を見つけるにつけ、「これだけの力量が無料で消費される二次創作って?」と更にショックを受けましたが(笑)、
ともあれ、知らない人が居るなら読んで欲しい、というのが物語好きの性というものであり、このサイトのコンセプトです。
こうしてページを作る運びと相成りました。
夏映画『The End of "EVANGELION" Air/まごころを君に』は、見事なピリオドでした。
最低な主人公、端から死んでゆく登場人物、跡形も無く壊される世界。
実写を多用し、観客席を映し、雑踏のなかにキャラを置いてまでして、作品を客体化して見せるご丁寧さ。
しばしば映画にみられる映画自身への自己言及性以上に、観衆への言及性が高い映画でした。
凝ったつくりと、煽られる不快さ。その割に結論は、結構普通だったりして。
TV版の最終話での実験的な映像がとてもインパクトがあっただけに、期待していたのですが。
これ以上は物語が続きようが無い終わらせ方だと思いました。
主人公碇シンジのその後に、関心が持てませんでした。
あれ以来、エヴァンゲリオンのプラモデルは、ランナーに繋がったまま、押入れの中で埃を被っています。
「なぁ〜んだ、つまらない」
ところがどっこい。
各所の個性溢れる碇シンジたちに触れて、相対化する形で私の中の碇シンジが息を吹き返してきました。
二次創作のバリエーションの多さに戸惑って、原作という基準が欲しくなったのが最初です。
そのうち、自分はこの作品のどこを楽しみ、なにを期待し、何に失望したのかが気になってきました。
ともあれ、「あの」劇場版をレンタルでもう一度観るなんてことをしようとは、私自身想像もしなかったことでした。(笑)
残念なことに『エヴァ』のそれはネガティブなものでしたが、
それでも、物語と、主張が、そこで完結したことは意味のあることだと思います。
エヴァンゲリオンの二次創作作品は、今も各所で書かれています。
放送中に書かれた作品以上に、終了後に書かれた作品が溢れています。
原作に「庵野版」と但し書きを打ちたくなるような良作があります。
アマチュア活動による様々なアレンジとエコーの世界は、未だ鳴り止みません。
これがひどく面白いんです。
作品もそうですが、アレンジを加えてゆく行為と過程自体が、エンターテイメントのようで。
かつて、役者崩れの男が、画家の資料のために写真を撮りました。
なんの意図も持たない、誰も人が写っていない街角の光景は、それまでの写真の価値を一つも備えていませんでした。
この写真は反響を呼び、今では大変な宝物です。
かつて、ある音楽家が、ピアノの鍵盤の蓋を開け、何も演奏しないまま蓋を閉じました。
その間の客席のざわめきを作品とした発表会に聴衆は憤然としましたが、音楽の概念そのものに問いを発するものでした。
この試みは、それっきりです。
エンターテイメントの価値は、楽しめること、です。
思想や理屈は必要ではありませんが、多様であるなかには自然と含まれるものです。
それぞれが自分の心の肥やしにして、機会があれば語り合えばいいと思います。
『新世紀エヴァンゲリオン』の幕は下りましたが、客席にはかつての観客による芝居小屋が立って、市のようになっています。
天気の良い休みの日には、訪ねてみるのも一興です。
掘り出し物が、見つかるかもしれません。
(2002/08/16 2003/01/09修正)
あらためてTV本作を見返してみると、かなり大雑把なつくりをしていることに驚きました。
TVアニメらしい、みてくれ楽しめれば良しのあっけらかんとした適当加減です。
第2パートなんて言われる九話から拾参話あたりは、普通のロボットアニメしてて、意外なくらいです。
なんで終りがああなっちゃったかな?(笑)
中盤辺りまではそんなに勢い込んで見ていたわけでもなかったことも思い出しました。
中学生だった私は試験前期間のために普段よりも早く帰宅し、初めて見たのが第弐話。
OPと戦闘シーンのカット割の激しさと、能天気な会話シーンが楽しくて録画予約を入れることにしたのです。
セフィロトなどのオカルティックな記号の謎解きには、二の次だったな、と。
直に謎解き用語調べにも嵌ったのですが。(笑)
学校でも結構話題になって、そっちも楽しみでした。
「エヴァ派」「アンチエヴァ派」なんて親しいもの同士で意見が分かれてじゃれ合ったり。
「アンチ派」は、ダークな一面から結末の不穏さを感じ取ったらしいのです。で、大当たり(笑)
まさかのジェノサイド。
弐話の乗りからは想像も出来なかったエンディング。
私は、落ちて落ちて追い込まれた物語がグッドエンドに向けて盛り返すカタルシスを期待していました。
だから終盤に入ってからは毎週はらはらしっぱなしで。
多分、第拾九話『男の戦い』では、内心ガッツポーズを取っていた筈です。
大分楽しんでいたのは確かです。
今でもTV本編と劇場版加筆分の乗りの差には少しの奇妙さを感じるのですが、それはそれと置くことにして。
こういう物語もありなんだ、という認識が出来て、以前より幅広く物語を楽しめるようになったと思います。
お酒のような物語や、毒にも薬にもなる物語、あるいはその逆もありますが、
『エヴァンゲリオン』が人に薦められる物語かどうかは、未だに迷うところです。(笑)
それでも、ネット上の『エヴァFanFic』には、本編を知らない人にも薦めたい面白さがあると思う訳で。(^^)
条件付き賛成で、お薦めかな、と。
(2002/09/13)
『新世紀エヴァンゲリオン』は(C)GAINAXの作品です