「ファーストって怖い子ね。目的のためには手段を選ばないタイプ。
 いわゆる独善者ってやつね」
アスカがシンジに耳打ちする。

アスカは、未だに捉えどころのないレイの不穏な一端を見て、嫌な気分になった。
それがどこに由来するのかまでは、気にする事でもなかったから、断定することでピリオドを打った。
シンジはそんなアスカの態度を変に思いながらも、暗がりで間近に感じた体温に緊張してしまい、そんな自分に呆れていた。

「…二人とも手伝って。時間がないわ」
その二人に一瞥をくれると、レイは手にしたパイプで障害物の撤去にかかった。
「はいはい。…ほら」
「なんだよ?アスカ」
「とっととやんなさいって言ってんの。あんた男でしょ、一応」
「…一応ってなんだよ」
文句を言いつつも手ごろな道具を確保する。
(バール?何でこんなことに落ちてるんだろ)
アスカは腰に手を当てて、鷹揚に頷いてみせた。
「うん、素直でよろしい」
「あなたも」
「わかってるわよ!…たく。シンジ、あんた正解よ」
「なにがさ」
「ファーストの性格は指令譲りだってことよ。あんたもああなるトコだったんじゃない?」
「僕が?」(父さんに、似る?)
シンジの手が止まる。
「ま、考えただけでもゾッとするわね」


「説明を受けろ」「でなければ帰れ」「死んでいるわけではない」「問題ない」「出撃」
ゲンドウの台詞は、シンジの思い付く限りろくなものがない。
こんなことばかり言い出す父親の神経は、改めて不思議だとシンジは思う。
しかし、気になることもある。
(そんなことを僕が言う…たぶん簡単に謝ることなんて無いんだろうな)
口癖は「ごめん」。
そんな自分の処世術に、我が事ながら、疑問を感じることが多いのだ。

「ちょっと、シンジ。手が止まってるわよ」
シンジの耳に、天使の囁き。
「…問題ない」
言ってしまって血が上る。アスカの唖然とした顔を見て汗が出る。
(うわっ、言わなきゃ良かった!)
自分で放った不審火に焼かれるのは、記憶の限り初めてのシンジだ。
「はあ?!女の子にこんな事やらせといて、何言ってんの!使徒も来てるのよ!バカシンジ!!」
「ごっ…ごめん!」
(やっぱり僕には無理だよな…)
シンジは肩を落として作業に戻る。そこへ
「碇君…」
「え、ああごめん、変なこと言って。ちゃんとやるよ、綾波」
「すぐに謝るのは良くないわ」
「…え?」
レイは変わらず、瓦礫を撤去している。
けれど、唇はシンジに続ける。
「筋道立てて、納得させるの」
呆然とするシンジに構わず続けるレイ。振り向く。
「あなたなら出来るわ」
「っ!ちょっとファースト!」
アスカの方が、先に反応する。がらん!と石くれの音。
「シンジに妙なこと吹き込むんじゃないわよ!第一、コイツに出来るわけないじゃん!」
「問題ないわ。私が教えるもの」
アスカが引きつって止まる。
(あ、こうやって使うんだ…上手いな、綾波)
筋道が立ってるかはともかく。
シンジの神経索が繋がってムギ球が点く。
「…碇君」
「うん、なんとなくわかったよ。あの…」
「何」
「ありがとう、綾波」
場しのぎが多い彼だが、これは違った。
「……いいわ」
ちら、と目を合わせてから、レイは再び壁を突き崩す。
不満げな彼女の眉をいぶかしみながら、シンジも鉄骨を抜き取る。
そこで、アスカが再起動を果たした。
「あ、あんたたち!私をダシにするなんて、いい度胸じゃない!」
「碇君、弐号機パイロットが騒いでいるわ」
「アスカ」
「なによ!」
「手伝って。でなければ大人しくしてて」
「このあたしに指図しようっての?」
「…彼女を使わなければ、ケージに辿り着くのが遅れるわ」
「騒がれるよりマシだよ。子供の駄々に付き合う暇はない」
「ぃ言ったわねぇ!!誰が子供よ!」
「アスカの他に誰が居る?」
「あたしは大人よ!!」
「綾波、聞いた?」
こくりと頷くレイ。
「無視すんじゃないわよ!」
「アスカ」
「何よ!」
「さあ、手伝って。聞き分けろよ。大人なんだろ」
シンジはそう言って、自分の隣に場所を空ける。
むぅ、と詰まるアスカ。
簡単な誘導だったが、アスカは見事に引っかかった。
子供、と評されるのを何より嫌う彼女だからこそ、逆上せずに居られない。
アスカは何も言えずに、シンジの傍の瓦礫の前へと歩み寄る。
レイはシンジを見る。
シンジはレイと目を合わせて。
「ニヤリ
 …なんて笑うのは、この口かしらぁ?!」
「ひ、ひたいよ、あふかぁッ!」
「このあたしが、この程度で手詰まりになるなんて思わないことねっ!大バカシンジっ!」
アスカはシンジの両頬を引っつかんでグニグニとつねり上げる。
シンジにはもう、最前の余裕はない。軽く半べそ。
「ほらほらぁー。謝んなさいよ、いつもみたく。じゃなきゃ放してやんないからね」
「ひやだ!」
「ほっほう?んじゃ、これでぇ、どうかしらぁああッ!!」
「ひててててててっ!ひやい!ひゃえろよ、あふか!」
逃げようとするシンジを、アスカは巧みな体捌きで追い込む。
シンジには地獄だが…ケンスケあたりなら羨ましい、とこぼしたかも知れない。
レイは憮然としてその光景を眺めた。

(そう、もうダメなのね。…あと少しなのに。)
一人、胸の内で呟いて、アスカに向けて口を開く。
「どうして放さないの」
「何よ…シンジが謝らないからよ」
「碇君に謝って欲しいの?」
「当然でしょ、先輩に生意気言うようなシンジは謝るべきだわ」
「同僚」
「は?…ん、そうだとしても人を貶めるような奴は罰をうけるべきよ」
「そう、なら、つねれば」
「そうしてるじゃない」
「私も」
「…へ?」
「私も、共犯」
「……」
「……」
「……あやひゃい…ふがっ」
シンジが真面目な顔をして何か言い掛けたが、今度は片手で鼻をつままれて沈黙。
アスカの手が、第一中で鉄面皮の伝説を作りつつある白い頬に伸びて、止まる。
硬くて抓めなかったりしないわよね、などと一寸迷う。
「……」
「……」

ふに

「ぷっ…! …くくく、あはははははははははははははははっ!ふぁっ、ファーストって…」
柔らかい。それに、よく伸びる。
はぶたい餅、というのは、多分きっとこんな感触だろう。
それでも無表情のままだから、シンジは呆然としてレイの顔を見詰めた。
「ふふふふふっ…あー…ファースト、あんた最高。あんたに免じて、もうこれで勘弁してあげるわ」
アスカは両手でおなかを抱えて笑うと、立ち上がって言った。
「独善者って台詞は、取り消すわ。あんたでも怒るのね。…悪かったわ」


「平気?」
「え?」
「頬」
赤く腫れていた。
「ああ、大丈夫。アスカになんかされるの、いいかげん慣れちゃったから」
「…そう」
「綾波こそ平気だった?なんか、随分、伸びてたけど…」
一度伏せ目がちに顔を背けかけたレイは、きょとんとして、それから俯いてしまった。
「問題ないわ。弐号機パイロット、加減してたもの」
声も小さい。
「そう?…あ、あの、ごめん、綾波。僕が変なこと言ったせいで、綾波まで巻き込んじゃって、ホントに…」
「どうしてそういうこと言うの?」
「え、だって、僕が悪いんだ。それに、やっぱり誰かに嫌な思いさせるのは、嫌だよ。
 だから、しょうがないけど、これでいいと思うんだ。
 えっと、何言ってんだろ。はは、ホントにごめ…!」
すっと伸びたレイの指が、シンジの腫れた頬を優しくつねりあげた。
シンジは声も出せない。
赤い瞳と目が合う。迷いの無い色をしていた。
暗がりの苗に当たる光のよう。
立ち上がって撤去作業に戻ろうとしたレイの背中に、だから背伸びをするようにして声を掛けた。
「助かったよ、綾波」
「いいわ」


「…あんたたち、仲いーのねぇー。なんだか蒸し暑いんだけど」
「……」
「なっ、なんだよ、アスカ。その言い方」
「べーつにーぃ」
「……」
「別にって、そんなことないだろ」
「あーもー、つべこべ言わない!またつねられたいワケ?!あんたは!」
「……」
「あ、そうだ。アスカ」
「な、何よ。急に真面目な顔して…」
「……」
「さっきは変なこと言ってごめん」
「……」
「……」
「……」
「…はぁ、疲れるわ。あんたってホント馬鹿。何でこんな奴が…大体何で司令の真似なんかすんのよ」
「別に、いいだろ」
「……極端すぎんのよ。自分と正反対の相手真似しないわよ、普通」
「そ、そう?」
「そうなのよ!あんたの頭、何が入ってるのよ!」
「アスカと同じ物しか入ってない」
「信じらんない。全くシンジといい、ファーストといい、極端な奴ばっかり」
「私?」
「そう!」
「アスカだって極端だろ。外じゃ張り切るのに、家ん中でごろごろごろごろ…」
「それはメリハリって言うのよ!極端でバカのあんたとあたし達を一緒にしない!」
「なんだよ、それ…」

がちゃん!

大きな音を立てて、扉が開いた。







その夜、自室のベッドの上に寝そべるレイは、今日のことを思い返して眉を曇らせた。
「もう少しだったのに」
シンジがゲンドウを真似たときに、不意に思ったのだ。
シンジが、あの人みたく、名前で呼んでくれないかと。
そうしたら自分もシンジと呼べるのに。
名前は記号。
けれどもレイは、万感の思いを込めて呼べるときの呼び名を、大事にしていた。
シンジが彼女を呼ぶときに込める独特の気遣いも、大切に思っている。
けれど、それが名前で呼ばれたらどんなだろう、と思うのだ。
そして、自分が名前で呼んだならシンジはどう感じるだろう、とも思うのだ。
名前で呼び合うシンジとアスカの間に、何か羨ましいものを感じたのだ。
自分からは言い出さない。
シンジに求められてこそだと、レイは考えていた。
ふぅ、と青い部屋に、ため息が一つ落ちた。
「…碇君、頬、柔らかい、抓る、弐号機パイロット、極端、碇君、初号機、使徒、蜘蛛、蜘蛛は嫌い…」
そうして、リツコの勧めで続けている連想訓練の日課をこなし始める。
弐号機パイロットの言うことは、正しいのかもしれない。

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気付けば長文。
相手を怒らせてしまうようじゃ、話術なんて上等なものとは天地ほどの差だよなぁ、と思う。でもやってみたい。
2003年05月04日
doodle

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