「(げっ…!)」
相も変らぬ蒸し暑い晩のこと。
第三新東京市内葛城宅の洗面台に、引きつった顔の、赤毛の少女が映っていた。

湯上りに赤いバスタオルを巻いた彼女の見やる目線の先には、ゆらゆらと、数字の書かれた盤が揺れている。
「(増えてるゥ…)」
体重計である。

容姿端麗にして質実剛健。
才色兼備の少女、惣流アスカ=ラングレーにとって、体形の維持は並みならぬ関心事。
育ち盛りとはいえ、理想値に基づくガイドラインを越えた体重の増加は、在ってはならないことなのだ。

覗き込んでも、目を凝らしても、もう一度乗り直してみても数字は変わらない。
「(どうして?)」
表示と睨めっこをしながら顎に手を当てる。

ドイツを発って以来、毎日のスケジュールに大した変化はない。
考えられる元凶は一つ。
最近新しい料理に凝りだした、この家の家政夫。

出来るなら、ここで驚きの声を上げて洗面所を飛び出し、台所で嬉しそうに中華鍋なんぞを振るっているニヤケ面の少年を、大声でなじってやるのだが。
ここは、ぐっと腹に呑み込む。
いま出て行っては、タチの悪い女主人の良い餌食にされた挙句、翌日には発令所中の晒し者だろう。

「(問題は、ミサトに悟られずにどうやって解消するかよ!)」
立ち昇った湯気を吸い込み、呼気と共に頭の熱を冷ましてゆく。
勿論、無神経に脂っこい料理を出した彼には、相応の罰を与えてやらないといけない。

「アスカー?ご飯できたよー!」
神算を巡らして打開策を列挙してゆく背中に、カーテン越しの間延びした声が届いて、思わずこぶしを握り込む。
風呂上りに更に血圧を上げてくれたお礼を、先ずはたっぷりとすることにした。



翌朝。
「起きなさい!!バカシンジっ!」
げしっ

「つ…何するんだよ、アスカ……まだ全然早いじゃないかぁ…」
横を向いてタオルケットに包まる少年の、上になった肩を蹴倒してやる。
寝ぼけたリアクションも、完璧に予想通り。

「何甘えたこと言ってんの!あんた自分の立場わかってんの?!」
片手を腰に当て、ベッドの上に胡座をかいたシンジを見下ろしてから、畳み掛ける。
「飛び入り参加のサードチルドレン!シンクロ率だけ有れば良いってもんじゃないわ!こないだの400M走、クラスで何位だったか、覚えてるでしょうね?」

「…それで?」
不機嫌そうにそっぽを向いたシンジの横顔を捉えて、心の中で快哉を上げる。
「だ・か・ら!今日から特訓!あんたのふざけた基礎体力を、このあたしが徹底的に叩き直してあげるわ!」



「(何でこうなっちゃうの?)」
赤いホットパンツの少女は、小さくため息をついてベッドから身を起こす。
最初の2週間は、思惑通りだったのだ。

有酸素運動を目的とした朝のランニングと、ネルフでの筋力トレーニング。
彼女のダイエット用トレーニングメニューに、ひぃひぃ言いながらついて来るシンジ。
特訓にかこつけて、毎食のカロリーコントロールもばっちりとさせた。

効果はてきめんで、体重はすぐに理想値に戻った。
あとは無様な後輩に、「ちゃんと教えてあげたんだから、毎日続けなさいよ!」と釘を刺して、自分は元の生活に戻ればいい。
その筈だった。

「アスカー?まだ寝てるの?」
「いま行くわよっ!」
シンジが予想外にのめり込んだのだ。

いつのまにか、先に支度を整えて、アスカを呼びに来るようになった。
「…あたしよりタイム遅いくせに…」
ぶつぶつと愚痴ってみるが、初めは昏倒などしていたシンジがトレーニングを楽しんでおり、少しずつだが成績を上げている。
これは優秀な先輩に対する挑戦状である。途中放棄などもっての他だった。

「今日から、距離を伸ばすから!またぶっ倒れたりしてたら蹴るわよ」
「うん!」
この早朝の日課は、筋肉を付け過ぎたアスカが、鏡の前で絶叫を上げるまで続いたのだった。



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2002年06月21日
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