道行き
創作設定
碇シンジがその噂を聞いたのは、崩れかけたスーパーの一角に開かれたバーカウンターでだった。
「い、生きている森…ですか?」
あちこちで拾って来たらしいばらばらの家具が、ありふれた壁面をちぐはぐに変形させている。
それが、どういう訳だが統一感を生んでいて、妙にくつろげる店だ。
電気は通っておらず、綺麗に掃除された店内にぼんやりとしたランプを灯して、店主が応える。
「そうさ。
…遠くから見る分にはいい森なんだがな。中へ入るとぱたりと音がやむ。
次に嫌な雰囲気が漂ってきて、それがだんだん強くなるんだ。
奥まで行った奴は居ないよ。
好奇心の強いのが何人か出掛けてったが、みんな怪我して帰ってきた。
ひそひそと話し声が聞こえたとか、足元が急に抜けたとか、腐った幹が落っこちてきたとかでな。
馬鹿でかい怪物が居るなんて話まであってな…どこまで本当か判らんが。
他の森と明らかに植生が違って、人を拒み、べらぼうな速さで広がってるから、生きている森なんて呼ばれ出したんだ。
まぁ、危ないってんで、近所じゃ色々噂が絶えないのさ」
この世界は全く退屈しなくていいな、と、店主は時計の針で飾った髭を揺らして笑った。
サードインパクトからこっち、姿を消した人間と入れ替わるようにして現れたものたちが居る。
その姿はまちまちで、さながら百鬼夜行の様相だったが、旅行者とか、観察者とかを名乗る点で一致していた。
シンジはアスカと別れてから、そうした者たちの間を渡りながら暮らしてきた。
「…怖いですね。…あの、その森、どこにあるんですか?」
「ん?東の尾根伝いに2日ほど行ったところさ。
そうだな、何が見えるか…森の奥に大きな湖がある。まん丸だな。随分深い。
地図か?その辺の棚に入ってたが…確かあの辺の地名は…」
「…第三新東京市」
「ちょっと、聞ーてんの?!」
「あ、え?」
急に声を掛けられて、シンジは現在に引き戻された。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
シンジの腕にふん捕まえられた赤い猿のぬいぐるみから力が抜ける。
ぬいぐるみに呆れられてる。
前を見る。
落ち葉の上を、延々と先へ伸びる赤い尻尾。
大きな潅木の梢を避けて、その先へと急ぐ。
腕の中のぬいぐるみが口を開く。紅葉のような赤が覗いた。
「大体失礼よ。最低だわ。ろくに挨拶もしないで、会うなり人のこと抱え上げるし」
<こんにちは…えっと、アスカ、だよね?>
<…そうだけど>
確認を取るなり、シンジはこの喋るぬいぐるみを抱えて歩き出したのだ。
「それは、悪かったよ。軽率だった。でも本当に、今でもびっくりしてるんだ」
「ほら、それが失礼よ」
平坦な声で言われて、シンジは幽かに恐怖を覚えた。
こころの境界を無くした世界を思い出して、努めて明るい声で話を逸らす。
「それにしても、本当に良かった。アスカに会えたのが一番驚いたよ」
「ふーん」
「ふーん、って」
「二番目は何なのよ」
「…アスカがぬいぐるみになったと思ったから」
「それ、合ってるわよ」
「え?」
歩みが止まる。
「あたしの尻尾を辿ればリモコン持った惣流アスカラングレーに会えると思った?おあいにく様ね。
あんたはあたしを有線操作のおもちゃみたいに考えてるんでしょうけど、違うわ。
紛れも無くこれが今の私。私はアスカだわ。でもアスカが私かって言うと、それも違う」
まじまじと見詰める。
会話の内容を咀嚼する二呼吸。
ぬいぐるみも呼吸していることに気付く。
「…よく分からないんだけど」
「別に分からなくていいわよ」
「教えて欲しいんだ。お願い。僕は、アスカに会いたい」
「会ってるじゃない。あたしはアスカだわ」
「それは、そうだね、そうなんだろうけど…何が起こってるんだよ?
僕は… 」
シンジは目の前に居る「アスカ」の瞳を見る。瞬きもせずに、ぬいぐるみの黒い瞳の奥に、青い輝きを透かし見る。
胸の内で言葉が渦を巻く。
喉を越えて、瞳から溢れるよう。
右手を開く …何で喧嘩になったのかだって、はっきりとは言葉に出来なかった。
右手を握る …いつでも分からないことだらけだ。理解すること自体を諦めようともした。
握る …それだけだった。
握り込む …それだけで、あれから随分経った。
強く …ああ、そうだ。でももう、御託はいい。
柔らかく …このまま風化してゆくことなんて、僕は望んでいないから。
「 アスカと 話がしたいんだ」
見詰めたまま、ふうっと息をつく。自然に頬が緩んだ。
「アスカはさ、 あの日から何をしてきたの?」
「下ろして」
「え?」
「さっさと下ろして」
「う、うん」
「…ホントはさ、丁寧語でも使って、全く知らない振りしてやろうと思ってたんだけど。
見せてあげるわ。あたしが今やってること。アスカがやってること。
あんたには、ここの道は辛いかもしれないけど。
こっちよ」
するりと尻尾を支えにして伸び上がると、弾けるように3メートルの高さへ辿り着く。
その枝から這うようにして、中空へと伸びる、傾いだ幹の上へと登っていく。
突発的で奇妙な動きは、すべて尻尾で行っているようだ。
シンジも木に足を掛ける。
しっとりとした分厚い苔で手足が滑る。
「…剥がさないようにしなさいよね。その苔だって、大事なものなんだから」
「分かった…でも、 くぅ、 …最大限注意する」
そっと掴むようにして、上へ登る。
アスカはそれを眺めてから、樹上の道を選び始める。
先へ行くほど、幹は傾いでいるようだった。
そのうち立って歩けるところもあるだろう。
「上を行かないと、辿り着かないようにしてあるわ。
この先にあるピラーツリーの世話があたしの仕事。とっても大事な実験なの」
「木を使って?アスカは、何を目標に実験してるの?」
「何だと思う?」
「…地球を住みやすくする、とか」
「半分当たりね。色々あるけど、あたしと、アスカと、惣流アスカラングレーのため、ってのが正しいわ」
「…その呼び分けって、どういう意味なの?別人みたいに聞こえる」
「『アスカ』っていうのは…そうね、この森の名前だと思ってくれて構わないわ」
「この森が、アスカ?」
…『生きている森』、『みんな怪我して帰ってきた』。
ぬいぐるみは、アスカは、シンジを振り返ると口を開いた。
「シンジ、先ず、これだけは言っておくわ。
過去にあったことは変らない。そうよね。
そして、あたしたちは毎日変ってゆくわ。
思い出すことは出来ても、もうそこへ戻ることは出来ない。
今あたしがやってるのは、そういうことよ」
−・−
長々と。色々。その割に分かりづらいと思います。
絵で見て分かるSF、文を読んで分かるSFを書ける人は、どれほど訓練したのだろう。
イラストは、上のエピソードを経て辿り着いた、巨木「ピラーツリー」のある場面。
星野道夫氏の写真にある、この目で見たこともない森をイメージの元にして。
今はこれが精一杯。
2003年 5月 8日 doodle@Libra Library
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